おためごかしについて語る
おためごかしという言葉を聞いたことがありますか?
私が初めてこの単語を知ったのは2010年の冬でした。
気になって電子辞書で調べたのがきっかけでした。
この言葉の意味を知って以降7年間
色んな場面で呪いの言葉のように浮かんでくるようになりました。
今日は私が衝撃を受けた「おためごかし」について
いくつかのエピソードと共に、少しお話したいと思います。
おためごかしとは
表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること。 by広辞苑
いかにも人のためにするように見せかけて、実は自分の利を図ること。また、そのような行為やことば。 by明鏡国語辞典
おためごかしは漢字で書くと「御為倒し」と書きます。
「倒し(ごかし)」というのは、前に付く言葉に対し、そのようなふりをして相手をだまし、自分の利益をはかるという意味に変える単語です。
【例】
いかにも親切なふりをして自分の利益をはかる⇒親切ごかし
可愛がるように見せかけて自分の利益をはかる⇒かわゆごかし
貴方のため?ー自分のため。
おためごかしという言葉が、なぜ頭から離れなくなったのかというと
これまでの人生を、たった6文字で言い表されてしまった気がしたからです。
タモリさん曰く、赤塚不二夫先生の生き方は「これでいいのだ」に集約されているとのことですが、私の生き方は「おためごかし」……虚しい限りです。
学生時代を振り返ってみてもずっと、おためごかしな生き方をしていました。
中学の部活動で、練習中に後輩がふざけて遊んでいるとき、本来なら先輩である自分は
「真面目に練習しろ!」と怒るべきなのに注意せず、結局キャプテンが後輩にボールをブン投げて激怒するということがありました。
思い返せば中学三年間で後輩に厳しく注意をした記憶が全くありません。
そんな生き方をしていた結果、どうなったかというと後輩からは「先輩めっちゃいい人ですよね」と評されることになります。
おそらく当時の私は、他人に怒れるほど情熱的でも強気な性格でもなかったため、何も言わなかっただけなのでしょうが、結果として毒にも薬にもならない「いい人」になってしまいました。
果たして今、そのときの後輩たちが「いい人」のことを覚えているのだろうかと思うことがあります。
結婚式で見た友情
大学生の頃、所属していた部活動に、とても優しく大人しくて、御令嬢といった言葉がぴったりの同級生がいました。その子の周りには常に蝶々でも飛び交ってるんじゃないかというほど、ほわほわした女の子なのですが、その子が一度だけ激怒したことがありました。
御令嬢には一番仲の良い女の子が一人いました。その子が主役の舞台に向けて皆で取り組んでいた時のことです。部活に対する考え方の違いで、何度言っても真面目に練習しない後輩がいたのですが、その後輩に対して御令嬢が「やる気がないなら辞めろ!」と言って、後輩と取っ組み合いの大喧嘩をする事件が起きました。
普段あれだけポワポワした友人の激怒する姿に、その時は大変驚きましたが、大切な友人の舞台を成功させるために、最善の方法を選んだのだと思います。
そのバトルが起きたとき、私は何をしたかというと、興奮する二人を引き離し、友人の話を聞いては
「そうだよね、練習は本気でしないとダメだよな」となだめ
後輩の話を聞いては
「そうだよね、部活を楽しむことも大事だね、まあでも練習がんばろ」と慰め
また毒にも薬にもならないどころか、世界史のイギリスみたいな立ち回りをした記憶があります。
そういう役割の人も必要……と思うかもしれませんが、私の場合は、相手と本気で向き合うことから避けて、面倒なことから逃げていただけなのです。
そんな大立ち回りをした友人が、数年前めでたく結婚式を挙げました。
式の中盤、場の空気もすっかり和んだ頃、新婦の友人代表として、中学時代からの親友だという女性がスピーチを始めました。
スピーチの概要は、大学卒業後も就職が決まらず毎日目標もなくフラフラしていた親友、そのことを知った新婦がカフェに呼び出して本気で怒ってくれたというエピソードでした。新婦の親友が、大勢の前で号泣しながら「ありがとう」とスピーチしていたのを見て私はこう思ったのです。
「自分には、こんな本気で怒ってくれる親友はいない」
「こんな本気で怒れる親友もいない」
私の同級生は、ほわほわ系などではなく昔からずっと一貫して、大事な人にとってベストになると思ったら、自己の不利益を考えずに行動できる熱い人だったわけです。
これを言って嫌われたらどうしよう……
友情が壊れたらどうしよう……
とりあえず慰めとくか……
確かに歯切れの良い言葉で慰めておけば、友情関係が壊れる可能性はきっとゼロだと思います。
ただそのとき、その友人に必要な行動が、慰めじゃなくて背中を叩くことだったとしたら、自分は迷わず背中を叩くことが出来るだろうか。どん底に落ちた時、背中を叩いてくれる友人が出来ていただろうか。そんな生き方をしていたら、自分にも本気で向かい合える友人が出来ていただろうか。
おためごかしに生きてきたツケがまわってきた気がしました。
嫌われる覚悟
とある企業のお話をします。その企業には子供たちに色々なことを教える施設があるのですが、新入社員が研修で配属されると、現場の上司はあるシンプルな指示を出します。
「子供たちを思いっきり褒めろ」
配属された最初の数日間は、とにかく子供たちをオーバーに褒めちぎる。子供たちが「先生褒めすぎ~」って照れちゃうくらい良いところを見つけて褒めさせられます。するとやはり、子供たちも悪い気はしないので、その新入社員のことを気に入って、とても仲良くなります。
そして、新入社員と子供たちの距離が近くなってきた頃、上司は次の指示を出します。
「子供たちがダメなことしたら叱れ」
小学生や中学生は大人ほどオンとオフの切り替えが出来ません。なので、真面目に取り組まなきゃいけない時にふざけたり騒いだり、毎日必ずトラブルを起こします。
軽く注意しても改善されないときは、心の底から怒って相手に理解させなければなりません。小学生であればまだ素直に聞き入れることが殆どですが、思春期の多感な中学生にこれをすると、多くはふてくされた顔をしますし、怒った後またフランクに接しても、新入社員の力量不足も相まって徐々に距離を置かれ、嫌われる可能性が高くなります。
子供たちがふざけたとき、一緒になって笑って受け流していれば、人気者のままでいることだって容易でしょう。しかしそこで、子供の未来ではなく、嫌われたくないからと自利を優先させる新入社員は『人気者』の称号を得る代わりに子供の未来を潰してしまいます。
例え嫌われても、ダメなことはダメなんだと教えてあげる人がいなければ、子供は将来、間違いを間違いだと気付かない大人になってしまいます。
良いことをしたら全力で褒め、悪いことをしたら全力で叱る。
ただそれだけのことなのですが、実は自利を捨てる覚悟が無いと出来ないことなのです。
相手に必要なこと
ここまで読むと、なんだか怒ることが真の友情であり、怒ることが唯一正しいことであるかのようにも読めるので、正直に自分の今の心情を書いておくと
どうすることが正解なのかは未だにわかっていません。
私が尊敬する恩師は相手に気付かせるとき、怒るのではなく、やる気の出る言葉を的確に投げかけて本人の奮起を促すプロでした。
また、先の例に挙げた企業の社長は「叱ることなく、子供らにやる気を出させることが出来るようになったら君らの勝ち」と断言していました。
ただ、怒る方法も、それ以外の方法も共通している点は
自利ではなく利他で行動しているところなのかもしれません。
助けたい相手が一番必要としていること、それがなんであれ自分の利益に反しているとき、迷わずおためごかしを捨てて行動できるかどうかなんだろうと思います。
ご飯を食べているときに「よし、咀嚼しよう」なんていちいち思わないのと一緒で
未だに「おためごかしになっていないか」と意識して行動している私は、そんなことを意識している時点でまだ捨てきれていないのだろうと思っています。
それでも、ずっと正義のヒーローになりたかった私は、自分のまわりの大事な人に幸せになってほしいですし、自分が間違った時は正してもらいたいです。でもそれはきっと、迷うことなく他人を救える人にしか得られないものなのです。なので今は自利と利他の間でもがき続けながら、おためごかしの呪いが解けるよう努力し続けていきたいです。